【自己紹介】今更ながら自分について書いてみた
こんにちは。ザッキー(@zackey_poikatsu)です
ブログを投稿し始めて10記事目になります。
振り返ってみると、、、そういえば自分についてきちんと書いた記事がない!
たぶん、この記事を読もうと思う人は相当マニアックな人だと思いますが、その僅かな需要に対して、この記念すべき2桁目のこの記事で書いてみます(笑)
僕の性格
負けず嫌い
僕が覚えている限り、この性格は幼少期から始まっています。
僕のじいちゃんが自転車で幼稚園まで送ってくれている時のことです。友達の姿が前方に見えると、友達よりも先に幼稚園に到着するように、じいちゃんの背中を騎手のように叩き、馬車馬のように自転車をこがせていました(笑)
小学校では友達の間でバス釣りが流行り、朝5時に起きて実家の前の川で釣りをし、釣れた魚のサイズを自慢していました
特に競争心が芽生えたのは中学校です。僕は運動音痴な学生で、中学校から始めたテニス部は2年生の途中でついていけなくなり退部しました
学校の成績は「下の上」くらいで、胸を張って得意だと言えるものがなかったんですね
そこで学力ではテニス部の連中に負けまいと、中学校2年から英語塾に通い始めます。
塾では学校の授業よりも先にテキストを勉強していました。そのため当然なんですが、授業で学ぶ内容をすでに知っている状態だったので
この授業余裕だわ はい俺、天才
というお調子者な僕は、中二病的な勘違いをしていました(笑)
英語の点数は最初60点台でしたが、毎月10点ずつテストの点が上がっていきました。
その結果、英語のテストは100点か90点以上というのが当たり前になりました
英語の成績アップという成功体験から、「俺は天才だから、他の科目もイケる」という根拠のない自身を持ちました。
塾は英語、数学、国語、理科、社会と高校受験に向けて科目を増やしていき、友達が部活をしている間、僕は勉強に集中していました
結果、中学卒業までに、全科目で学内の上位5番目以内には入れる成績になりました。こんな感じで、決して才能に恵まれていたわけではないですが、負けたくないと思ったものには、ひとつのことに打ち込むような学生でした
今は丸くなって、他人との比較にあまり拘らなくなりましたけどね
キャリアについて
大学~社会人
僕は地方の公立大学を卒業しています。
大学在学中に海外の大学へ交換留学し、英語の授業や経営学の授業を取っていました。何か難しいことを学んでいたわけでなく、英語の勉強の一環っていう感じでした
手前味噌ですが、帰国後TOEICの受験をして900点を取れるレベルになりました
就職は大学のゼミの先輩のツテで、東証一部上場企業に入社しました。就職活動では英語や留学経験を武器にしていましたが、結局コネやゼミのツテを使った方が内定確立が高いことがわかりました
ゼミの先生のお墨付きということなんで、変な奴じゃないだろうってことで、採用側としても初期段階のフィルターは通しやすいですからね
ポンコツ社員~転職
■1社目
新入社員が毎年200~300人いるような大企業で、僕は国際物流を担当する部門に配属されました。そこではオペレーションや営業窓口など様々な仕事を任されました。
今物販をやっていますが、ここで学んだ梱包や配送などの知識が生きています
しかし、「仕事は先輩の背中を見て学べ」タイプの職場だったので、正直きつかったです
最初は、なかなか仕事を教えてもらえないので焦りを感じていました。
そういった焦りや不安があったためか、生意気な態度をとるようになり、上司や先輩との関係も日に日に悪化していきました
ある日、複数の仕事が同時に来て対応していた時、先輩から呼び出されます
「○○(ザッキー本名)!てめぇ、こっちの仕事を先にやれよ!!!」
30代後半の中堅社員に胸ぐらを掴まれ、職場で大声で叱責されました。
自分なりに優先順位をつけてやったつもりが、その判断が間違っていたことが原因です
この日を境に職場の人との関係はさらに悪化し、泣きながら帰宅する日を繰り返していました。
ある日、半年で会社を辞めた元同僚と会う機会があり、「自分の周りの最も身近な人10人が、自分の将来だよ」という謎めいた言葉に妙に納得し、2年目で転職を決意します。そして上司に退職の相談をしてから、3回の慰留の面談を突破し、退職が決まりました
1社目は正直かなり辛かったですが、企業間の国際物流の仕組みや、組織の中での立ち居振る舞いの重要性について学びました
■2社目
ちょうど丸2年で1社目を辞め、2社目は派遣で業績拡大中のイケイケの告代理店勤務となりました
入社直後は、前職の知識を活かしてインボイスの作成マニュアルを作ったり、海外への発送手配の仕組みを作ったりしました。
そういった物流の知識を持った人がいなかったので、職場では重宝されたようです
また人が足りず常にメンバーを探していたので、僕は運がよく正社員に登用してもらいました。ここからは営業としての役割も任されるようになりました
海外の市場に関する知識やマーケティングの勉強をし、知識を深めていきました
周りにはコンサル出身者や、流通に関する専門的な知識を持った先輩方がいたので、見やすい資料の作り方や、流通業の仕組みなど、広告以外の知識も自然と入ってくる環境でした
この時は仕事が本当に楽しかったですね
会社の次の事業の柱となるべく立ち上げられた新規事業のイケイケの部署でしたが、売上・利益が伸びず入社後3年目に部署が解体となってしまいました
ここでは本当に多くのことを学びましたが、20代で新規事業の種を蒔きつつ、出た芽を大きくするというミッションに携われたという貴重な経験が出来たと思います
■3社目
2社目の部署解体を機に、僕は転職活動を始めます。
この時の転職市場は売り手(転職者)有利でしたので、活動開始2か月ほどで今の会社への転職が決まりました
あまり具体的なことを書いて身バレするのが怖いので詳しく書きませんが、事業を通じて企業の海外のマーケティング活動のお手伝いをしています。ここでもマーケの知識や英語が役に立っています
今の会社は比較的若い人が多いので自分に合っていて、職場の人との関係も良好です
1社目では盛大にポンコツっぷりを発揮していましたが、転職を繰り返しある程度社会人経験を積むことができたので、業務以外のことで躓く回数は減ったかなと思います
今興味があること
さて、これまで過去の自分について書いてきましたが、今僕がどうしたいかについても最後に触れておきたいと思います。
本業からの給与所得と副業からの事業所得を大きくし、その収益を投資に回しお金の木を育てる。そして、妻や家族、友人との時間を大事にし、心と生活に余裕のある人間になりたい。そう思っています
別にお金なくても実現出来そうじゃんって思う方もいるかもしれないですが、それは仕事をすることで毎月一定金額が振り込まれる状態だったり、貯金がある状態など、経済的な安心感がバックにあるからだと思います
僕は貯金をほとんどしない生活を送っていましたが、生活を見直し、貯金が100万円、200万円と大きくなるにつれ、心に余裕が出てきたことを感じています。また無駄な出費を減らすことで、生活費がかからなくなり、今の給料が40%下がっても生活していける状態です
だいたい貯蓄率50%をキープしています
週末起業(副業)
僕は給与以外の所得も得たくて、Amazonやメルカリでの物販の副業をやっています。毎月数万円程度の利益(原価や販管費除いたあと)ですが、生活を向上させてくれています
週末起業のように、平日の夜や週末を使って毎週1,2時間ポチっとするだけで、仕入れが出来ちゃうので、あまり工数はかからないですし、今は副業の物販が生きがいになっています
ただし、物販はフロー型のビジネスのため、仕入れ→販売の繰り返しの作業によって収益を作ります。そのため、自分が止まるとビジネスも止まっちゃうんですよね。
自分が動けなくなった時にも働き続けてくれる、ストック型のビジネスも始めたいと思い、ブログを始めることにしました
これまでの物販で得たノウハウや、副業の始め方、仕事での気づきなどの情報発信をして、価値を提供出来たらなとおもいます
投資(積立インデックス投資)
投資については、基本的にはドルコスト平均法を使った毎月積立でコツコツと機械的にこなしていきたいと思っています。基本方針として、投資に時間をかけすぎないこととしています
だって数万~十数万円の積立なのに、どこの方がもっと利回り良いかなんて考えても、仕方ないですよね
僕は長期投資前提なので、短期的な数%の利回りの違いや、株価の暴騰・暴落は長期で見たら僅かな誤差ですし、正直数%の違いは給与や事業で回収できます
なので、今は所得を増やすことにフォーカスし、インデックス投資でゆっくりと着実に資産を増やしていこうと思っています
まとめ
ここまで読んでいる方は、正直変態だと思います。しかし、長文お付き合いただきありがとうございましたm(__)m
とりあえず今までに書いたことをキレイに纏めようとするとこんな感じ?
- 才能がなくても、自分はできるという勘違いと1つのことに打ち込む胆力があれば成果はついてくる
- ポンコツ社員でも場数を踏めば何とかなる
- 経済的余裕が精神的余裕を生む
- 投資はほどほどに、本業と副業の収入を上げることに注力しよう
この記事を書くだけでも結構な文字数になっちゃいましたが、ここでは書ききれない小さなエピソードもたくさんあります
今後すこしずつ記事にして紹介していきますね
それではまた!See you again!